時短産業としてのコンサルのこれから

 自分が身をおいているコンサルティング業界ですが、徐々に新たな波が来ていると感じています。今日はその波について書いています。学生さんやコンサルティング業界に興味のある方もわかりやすいように書こうと思ったので、序盤が少し冗長になってしまっていますが、最後までお付き合いいただければと思います。

 職業柄、「コンサルって何のために必要なんですか」という質問を受けることが良く有ります。その裏には“コンサルってなんか胡散臭いし、事業って結局はやったもん勝ちなんだから、頭でっかちのコンサルなんて大したことない”という気持ちが潜んでいたりもします(たまたま私が遭遇した人がそうだっただけかもしれませんが、コンサルに対する悪い印象としては、大きく外してないのではないでしょうか)。

 そもそもコンサルタントとは consutantという言葉を分解しますと、”共にcon-”という言葉と、sultということばが合わさったものです。そしてSultとは、“座る”や“飛び込む”といった、“踏み込んでそこにいる”というニュアンスの言葉になります。そこから”相談する”や“告白する”といった意味でも使われるようになったのではないかと思われます。すなわち、コンサルタントとは「悩みを聞く人」ということになります。“誰かになんとかしてもらいたい”というときの助っ人に近いでしょう。

 これを踏まえると、コンサルの起用はつまるところ打ち手であり、根本的な悩みとは直結しません。そのためコンサルはよく、「ITコンサル」や「経営コンサル」という風に何かしら解決する悩みを冠につけることが多いのです。従って、コンサルにどんな役割があるのか、という質問自体の問が少しずれているのです。なぜならそれは「人や企業ってどんな悩みを抱えているんですか」という質問とほぼ同義だからです。むしろ、「あなたがコンサルティングしている会社の悩みはどんなものですか」という質問が意味のある答えを導き出せるのではないでしょうか。

 そして時の「悩み」は多くの企業で共通してみられるものがあり、さらにはこの「悩み」は時代と共に変化したように見えます。

 初期のコンサルでは生産性の向上やコストの削減など、主に効率"カイゼン"が主たる業務でした。最初は一つ一つの作業、そしてそれが拡大して事業全体や事業間≒企業全体での効率をどう向上させるかということでかの有名なBCGマトリックス等が生み出されたりしました。特に日本に置いては、専門コンサルタントの価値は情報の非対称性からくるものでした。大前さんに代表されるような、欧米帰りの経営を科学する技術を“知っている”方々が、日本の経営をより科学的な手法で改善しようというのが70年代頃のいわゆる企業を対象にしたコンサルティングの強みと言えたのです。あるいは「フレームワーク」という道具の使い方が上手い人に代わりにやってもらうというのがコンサルの使い方と言えるでしょう。

 これが徐々に「ロジカルシンキング」や「クリティカルシンキング」などと言った「モノの考え方」にフォーカスするようになり、最終的には海外MBA取得者を社内で増やしたり、研修によるKnow-How獲得によって相対的な価値は下がってきているのではないかと感じられます。もちろん全ての企業がこれを導入している/できるわけではないので、この価値が全くなくなったわけではありません。

 このように科学的なコンサルティング価値が相対的に低くなるに反して、分析能力のようなスキルだけでなく、主に社内の調整や外部との折衝など、PMO(Project Management Office)と呼ばれるようなリーダーシップ役割を求められることも多いように見受けられます。もちろん、「自分では言いにくいことを、社外の人にズバッと言ってもらう」という目的もあるかと思います(私は答え合わせ型案件と呼んだりしています)が、本当に社内にその仕事ができる(≒ケイパビリティがある)リソースが無かったり、あってもその案件では動かせなかったりする場合も多いのではないのかと思われます。総じてこれらはクライアントとの関係性(外部の人間というポジション)をうまく利用した価値提供という風に考えることができます。

 さて、タイトルのお話になりますが、上記の2つが提供する価値とはどちらも時短の意味合いが強いのではないかと思います。ひとつ目の価値は、「自分では難しいことを、ノウハウを持っている誰かがやってくれる」ことで目標を早期達成する時短といえるでしょう。次は、「自分では調整に時間がかかったり、回りくどいやり方でないとできないことを、外部の人間に"客観的に言ってもらう"」ことで目標を早期達成する時短といえます。

 そしてこれからのコンサルの価値に追加される項目として、上記の2つを全て代わりにやってくれるようになるのでは、というのが自分の考えです(価値が転換するというより、増えるということですね)。これは「事業の立ち上げから仕組み化するところまでを、得意な人に全て代わりにやってもらう」ことでという目標を早期達成するという時短になります。これは、ピンときた方もいらっしゃると思いますが、「自分が知らない領域」で、かつ「頼む人にそれなりの資本がある」場合が主流となると思います。なので、後者に関して言えばVC(ベンチャーキャピタル)やPE(プライベート・エクイティ)の世界ではビジネスモデルとして以前からあったもので、そこまで目新しいものではありません。

 前者に関しては、みんなが「自分では知らない領域」と感じる領域でなければならず、となると、メインはITに代表される、デジタルの領域ということになります。特に日本では製造業など、いままでITをツールとして使ってはいたけど、自分たちがそれをビジネスの起点にすることはほとんどありませんでした。異例的に、コマツさんのようなビジネスモデルを含めた成功事例はあるものの、それが他社でのそのまま適用することは容易ではありません。なので、「他社に頼む」という選択肢になります。

 ここまで書いて冒頭に戻りますと、コンサル各社はここ最近、"デジタル"という冠をつけた部門・子会社を立ち上げています。

ボスコンが始めた経営コンサルティングの新機軸とは?:日経ビジネスオンライン

「経営コンサル」から「デジタルエージェンシー」へ転身した、デロイトデジタルの内幕 | DIGIDAY[日本版]

アクセンチュアは、なぜデジタルマーケティング領域での事業を拡大するのか? | AdverTimes(アドタイ)

 一見すると、BCGはベンチャー向けのサービスで、デロイトとアクセンチュアは広告エージェンシーとしての機能を立ち上げているように見えますが、個人的な見解として、その根底にある「悩み」は、彼らのクライアントとなる企業である程度、共通したものだろうなと思います。

 それは「自社事業のデジタル化」を進めないといけないとわかっていながら、CVC(コーポレート・ベンチャーキャピタル)を用いた投資先の育て方が分からなかったり、どうオープン・イノベーションを起こせばよいかが分からない企業や、自社の顧客がデジタル化が進んでいるため、その対応が必要とわかりつつもできていない企業、特にマーケティングが重視される消費財領域の企業にとって、これを代わりに素早くやってくれるパートナーというのはことスピード感の早いIT領域に関しては切実な悩みということになるでしょう。

 このようなコンサル業界の新たな潮流がどのような結果になるのか、もっと言うと成功するのかどうかはまだわかりません。しかし、各企業の悩みはしばらくつづくでしょう。そしてその悩みを解消する時短サービスとしてのコンサルは、まだまだ必要とされそうです。

「扇動」と「従北」②

 6月に入ったあたりから、韓国ではこんな記事がバズっています。

 http://www.huffingtonpost.kr/2016/05/31/story_n_10230308.html(リンク先韓国語)

見出しの名前は『홍익대 앞 '일베 손모양' 조형물 밤 사이 파손됐다』「公益大学前“イルベ手形”造形物、夜間に破損される」。

 事件の概要は、芸術大学として名高い弘益大学で展示された彫刻が、その内容の芸術性をめぐり論争が起こっていましたが、その最中であった、6月1日の夜、何者かに壊され無残な姿となってしまったというものです(犯人は6月3日現在、すでに逮捕されております)。

 発端としては、韓国の芸術界における「象牙の塔」というべき弘益大学で、「イルベ」と言われる韓国のアングラ系匿名掲示板サイトの会員同士で使われる、「手印」を象った彫刻が堂々と展示されたことが問題となった理由です。ではなぜこのような事件に至ったかという話をするには「イルベ」の性格を理解する必要があります。NaverまとめやWikiに、簡単な説明があり、こんなことが書いてあります。

 イルベは元来、韓国の巨大電子掲示板群である「DCインサイド」から、内容が過激・有害であるとされて管理人に削除された書き込みを保管するまとめサイトを発祥としている。その後、「DCインサイド」の寄生サイトから、独立したコンテンツを持つ右派的コミュニティーとして成長した。2012年(平成24年)頃には月間閲覧者数400万人、月間PV10億を超えるサイトとなった。

成長の背景には韓国における経済危機を切っ掛けとした、経済格差の拡大、非正規雇用の増加、それに伴う不満層の拡大があると指摘されているが、全てのイルベ利用者が貧困層というわけではなく、標準以上の所得を得ている層にも利用者がいる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%88%8A%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2

イルベは、独裁政権時代への回帰思想や、民主化を否定するような差別的な内容を繰り返し書き込むことで、保守層の“隠された本音”を代弁

 http://matome.naver.jp/odai/2137844703913946501

 ただ、これを読んだだけだと、韓国のリベラル(とその支持者)がここまで「イルベ」に敵対心を示すのか、というのはわかりにくいと思います。特に、韓国の民主化運動を全く知らない若い世代の方にとっては、あまりこのような動きが意味する、韓国社会にとっての深刻さは伝わりづらいのではないでしょうか。

 確かに、サイト自体は極右的な思想(外国人排斥等)はありますが、イルベを語るときに多くの人びとが危惧し、批判しているのはこの「イルベ」が(少なくとも90年代後半以降の)現代韓国社会の根幹をなしている「軍部独裁への反対」を否定し、懐古主義的かつ非民主主義指向の考え方が色濃く出ているためだと思われます。

 韓国は戦後、長い間軍部独裁が続いており、それに対抗して多くの若者が民主化運動に参加しました。結果、これに対する弾圧等で少なくない数の人が死傷し、いまも当時の拷問による傷が癒えていない方も多くいます。そんな中で、当時の民主化運動を否定するような動きは、今の韓国社会を全否定しているようにも映るでしょう。

 ただ、イルベの人々が極右的な指向をみせるようになった原因の一端が、このような民主化運動の主役となった386世代が作り上げた現在の社会情勢にあることもまた、アイロニーです。これに関しては、なぜ若い人々が「イルベ」やその思想を支持するようになったかという考察と共に、また別の機会に書きたいと思いますが、この「イルベ」批判にはまた別の危険性が秘められています。それは、表現の自由に対する許容力が欠如していくという、社会の体力の問題とも言えるでしょう。

 ちょうど、私の知人がFacebookでとても正鵠を射ている文章を書いてくれているので、その訳を転載することで代わりとさせていただきます。。

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서울대에서도 비슷한 일이 있었다. 학생이 교내 성소수자 단체가 학교 이곳 저곳에 붙여 포스터를 하나하나 찾아내어 위에 동성애자들을 비하하는 문구가 담긴 도장을 찍었고 행위를 기록하여 졸업작품으로 전시 것이다. 서울대 안팎에서 어마어마한 반발이 일었고 주요 언론에까지 사건이 소개가 되었다.

数年前、ソウル大学でも似たようなことがあった。ある学生がセクシュアル・マイノリティ団体が学校のあっちこっちに貼ったポスターを一つ一つ探し出し、その上に同性愛者を卑下する文章の判で押し、この過程を記録して卒業作品として展示した。この時、ソウル大学内外で反発がすさまじい反発が起こり、主なメディアでもこの事件が紹介された。

그런데 정작 미대 앞에서 피켓을 들었을 법한 성소수자 단체의 반응은 예상 밖이었다. 그들은 전시 중이던 해당 '작품' 앞에 쓰레기로 정성스레 만든 꽃다발을 보내 주었고, 나아가 '도장 찍는 ' 따로 비워둔 포스터를 새로 제작해 교내에 부착했다. 그들은 이러한 재치 있는 대처로 찬사를 받았고, 해당 '작품' 그것을 제작한 학생은 상대적으로 초라해 졌다.

 だが、その大学の前でデモを起こしてもおかしくない、当のセクシュアルマ・イノリティ団体の反応は予想を覆すものだった。彼らは展示中であったその「作品」の前にゴミで丁寧に製作した花束を贈り、更には「捺印欄」を設けたポスターを新たに制作し、校内に貼り直した。彼らのこのウィットに富んだ対処は賛辞を受け、その「作品」とそれを製作した学生が、相対的によりみすぼらしい姿となった。

이번 홍대 일베 조각 사건도 이렇게 끝났어야 했다. 혐오 단체인 일베의 상징물을 교문에 거대하게 제작해 둔 행위에 대해 부정적인 반응이 나타나는 것은 당연하다. 하지만 미술로 상징되는 홍대와 그 주변지역, 하물며 야외조각전이 진행되던 공간에 전시되어 있던 작품이 누군가에 의해 파괴되는 것으로 끝났다는 것은 일베의 존재 만큼이나 암울하게 느껴진다. 한국 최고의 미술 교육 기관이라 자부하는 학교에서, 문제적 미술작품에 대한 반응이 미학적 대응이 아니라 고작 폭력과 반달리즘이란 말인가. 하물며 '표현의 자유는 절대적인 것이 아니다' 라는 포스트잇까지 붙었다고 하니, 이야 말로 일베의 철학 아닌가.

今回の弘益大学の事件も、このように終わるべきであった。ヘイト団体であるイルベの象徴を校門に大きく製作した行為に対して、否定的な反応が起こることは当然だ。しかし、美術に象徴される弘益大学とその周辺地域、ましてや野外彫刻展が行われていた空間に展示されていた作品が、誰かに破壊されるという形で終わったということは、イルベの存在自体と同じくらい、暗鬱な気分にさせられるものである。韓国最高の美術教育機関と自負する学校で、物議を醸すような作品に対する反応が美学的な反応ではなく、たかが暴力とヴァンダリズムでしかないのだというのか。さらに“表現の自由は絶対的なものではない”というポスト・イットまで添えられていたという。これこそイルベの哲学ではないか。

만약 일베 조각 작품을 만든 학생을 만나게 된다면 술이나 한잔 사주고 싶다. 그는 이렇게 작품 설명을 했다. '일베는 실재하지만 그 실체는 잘 보이지 않는다'고. 이 사건을 통해 이 명제가 참이라는 사실이 얼마나 여실히 드러났는가. 정말 무서운 것은 일베 사이트에서 한심한 글이나 쓰고 있는 자들이 아니라, 자기도 모르게 일베의 논리대로, 일베의 철학대로 사고하고 행동하는 수많은 대중이다.

もしイルベ彫刻を作った学生に会うことがあったら、一杯奢りたい。彼は作品についてこう説明した。“イルベは実在するが、その実態はよく見えない”と。この事件を通じて、この命題が真であることがなんと如実に現れたことか。真に恐ろしいことは、イルベのサイトでくだらない書き込みをしている人たちではなく、知らず知らずに自分もイルベの論理に沿って、イルベの哲学と同じように思考し、行動する多くの大衆である。

이걸 썼다고 분명 날 일베라 낙인 하는 사람이 있겠지. 그럼 난 이렇게 말해 주련다.
'야 이 일베야, 일베에 관해 이야기 하는 사람들이 일베인 게 아니야. 너희같이 일베처럼 행동하는 게 진짜 일베지!'

 この文章を書くことで、きっと私にイルベというレッテル貼りをする人もいるだろう。なら私はこう言ってやりたい。“このイルベ野郎、イルベについて語る人間がイルベというわけではない。あんたらみたいにイルベ的に行動することが本当のイルベだよ!”と。

「扇動」と「従北」①

ここ数年、ネットでよく使われる言葉に「선동질-扇動」ということばがあります。多くの場合、反政府・反保守的な意見に対しての一種のラベリング(レッテル)的に使われることが多く、社会問題になっている記事等でよく見かけます。以前‐学生運動が盛んだった時代にはむしろ左派運動家のほうが政府を批判するために使ったとも言われていますが、使い方が変質したのでしょうか。日本でいう「プロパガンダ」と同じ響きかな、というところです。

 大抵の場合、それは“事実に基づいておらず、声高に主張する者が無知な国民を利用して世論をある方向に向かせようとしている”という文脈で使われ、この“ある方向”というのが、特に最近では「従北」ということになります。

 「北」とは言うまでもなく、「北朝鮮」のことで、あまり普段意識することもありませんが、現在も韓国とは戦争状態(「休戦」)にあります。つまり、「敵国」ということになるでしょう。そしてそんな北朝鮮に利することをめざすのが「従北」ということになります。

日本のネット、それも保守(というべきかややためらわれますが)傾向にある人らが語る「反日」に近いものを感じさせます。

 そしてこのレッテルが貼られる対象は多くの場合、左派層を支持する、「진보‐進歩」勢力と呼ばれる、「386世代」(いまや586ですが)で元々学生運動を支持し、今もソウル市長や野党の理念を支持する人らが対象になることが多いことはアイロニーですね。

 次回はこの言葉が最近になって使われるようになった背景について、書いて見たいと思います。

ブログのご紹介

はじめまして。

Studio-Zmoon、ズムン工房です。

ブログにお立ち寄り頂きありがとうございます。

まずは自己紹介をさせてください。

現在、東京で某外資系企業で経営コンサルタント(と書いて何でも屋と読む)として働いています。

普段はマネジメントの方々と企業の資産配分のあり方や人材のあり方などを議論させていただくことが多いですね。が、最近は割りとIT関連導入など、現場っぽい仕事もやっています。

ただ、会社に入る前は1年程、韓国語の通訳や翻訳などを中心に、フリーランス的な立場で仕事をさせて頂くことが有りました。

 その時に、株式会社アルク様をお手伝いさせていただき、以下の本の出版に関わらせて頂きました。(最初は校正のお仕事として頂きましたが、最終的には資料集作成等、より中身の作成に関わらせて頂いた、大変楽しいお仕事でした)

朝鮮日報の記事で学ぶ韓国語リーディング

朝鮮日報の記事で学ぶ韓国語リーディング

 

 

このブログは、当時ずっと考え続けていた「日本の方、特に韓国語学習者が韓国のことを理解するにはどのようなバックグラウンド・社会背景の説明が必要なのか」という課題意識を元に、より韓国のコンテキストに即した記事説明や事件等の解説ができればなぁ、と考えて立ち上げることにしました。

ブログ名の「ズムン工房」は、当時使っていた会社(とはいえ個人事業主ですが)の商号「Studio-Zmoon」から来ています。”ズムン”というのは、”千:たくさん”という意味の韓国古来語(日本でいえば大和言葉)からとってきました。日本語と韓国語という、ことばをつなげることを基盤に様々な形の価値提供を行っていきたい、という意味を込めています。ロゴは友人に作ってもらいました(笑)

とはいえ現在の仕事は経営コンサルタントなので、企業のあり方や業界・世の中の変化など、日頃の仕事の中で考えたことなども書いて行ければなという風に考えています。

宜しくお願い致します。

企業の分類

よく「お荷物社員」や「ぶら下がり社員」という言い方がありますが、これは社員だけでなく、会社にも同じことが言えると思います。

というのは、世の中にある企業を分類した時

 ・既存の世の中のビジネスモデルや仕組みに乗っかることで利益を生み出す企業

と 

 ・自社で新たな価値を生み出し、社会を変えることによって利益を生み出す企業

の2つに分かれると感じられるようになりました。

 

ではどのようにすべきか、と言うのは、また改めて書きたいと思います。